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7/25/2010

森毅 - 数学

早稲田大学・理工学部のトキの解析数学のテキストの著者じゃなかったっけ?

大学の試験はほとんどが一夜漬けに近かった・・・

出席率かなり悪し、コピー代かなり高し、笑い

意外なことに、数学の成績は悪くなかった・・・

量子力学は、物理モデルを数式を使って表現する => 優


合掌


早稲田のテキストはこの解析学の本と、ソール・ベローの「ハーゾク」

知らなかったが、ソール・ベローはノーベル賞作家

理科系でも、厳しいよな、笑い


想いだした、ちょうどこのころだから・・・

広瀬健 この人の名前も覚えている・・・


森毅さんは、エッセイストだとばかり思っている人がいるが、実は啓蒙家なのである。
また、おしゃべりな数学者でもある。
その人が書いた、数学書は、以上の要素が多分に絡んでいて、一口も二口もかみごたえがあるのだが、なんだか私でも読めてしまえそうという気にさせてしまう。そこが、ほかの凡百の書き手との大いに異なるところだ。
で、この「解析学」だが、いまだ、復刊かなわない森さんの数学書のうちの一番のものだ。
森流解析学コース3段階の最初が「微積分の道」で、最後が、「現代の古典解析」となるわけだが、この間をつなぐのが、本書であるにもかかわらず、なぜか、欠けたままなのである。
これは、森流数学術にならうものとして、大いに不満である。
まず、古本店では手に入らず、倉田令二郎著のものを探すのと同じぐらいの困難がある。
これは、復刊せずにあるというのは、出版界の大いなる怠慢である。
復刊を切に願う。


解析学 (1974年) (現代数学への序章〈2 赤摂也,広瀬健編〉) [古書] [-]

森 毅 (著) 
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  • 出版社: 日本放送出版協会 (1974)
  • ASIN: B000JA1WNU
  • 発売日: 1974


この人の名前も覚えている

竹内 啓(たけうち けい、1933年10月12日 - )は、日本の数理統計学者経済学者東京大学名誉教授基本的な専門分野は統計学だが、経済理論ではマルクス経済学に位置し、その広い関心から科学技術や環境保全などに関する著作も多い。済学博士(東京大学、1966年)。

鶴見さんは、故筑紫哲也さんとの対談で初めて知った。面白い人だった・・・

鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年6月25日 - )は、評論家哲学者大衆文化研究者政治運動家

鶴見祐輔の長男として東京市麻布区(現・東京都港区に生まれる。外祖父は後藤新平。俊輔という名は父親の命名で、藤博文の幼名による[1]。厳格な母親に反撥し、東京高等師範学校附属小学校3年生のとき近所の中学生と組んで万引集団を結成。本屋から万引した本を別の本屋へ売りに行く、駅の売店から小物を盗むといった悪事を繰り返す[2]このためクラスでは除け者にされていたが[2]このときただ一人鶴見を庇っていた同級生が永井道雄だった[3]。しかし鶴見の側では永井をいじめる態度に出て、大塚駅の前でこうもり傘の柄で永井の足を引っ掛けて水溜りの中に倒し、その後で再びクラスから村八分にされることを恐れて翌日は早くから登校し、クラスの世論を鶴見側に有利に傾けるため事実の捏造をした[3]。肉体的に早熟だったため、小学生時代から性的な思念が頭から離れず、授業中は「パンツの中ペニスが右側に入っているか左側に入っているか」を気にして上の空だった[4]10歳をいくつも出ない年齢で歓楽街に出入りし、女給やダンサーと肉体関係を持った他[5]自殺未遂を5回繰り返して精神病院に3回入院させられた[6]当時、同校の生徒800人のうちただ1人の不良少年であることが誇りだったという。
「平常点はいつもビリに近いところにいた」ため[7]東京高等師範学校附属中学校に推薦されず、府立高等学校尋常科に入学するも武蔵小山の古本屋で集めた莫大な数の性に関する文献を学校のロッカーに置いていたことが発覚したため[8]入学後1年1学期で同校を退学になり[9]東京府立第五中学校に編入学するもやはり中退。俊輔の将来を心配した父から「土地を買ってやるからそこで養蜂場を経営して女と暮らせ」と言われたこともあるが、最終的には父の計らいで1938年に単身渡米し、同年9月、マサチューセッツ州コンコードミドルセックス・スクールに入学。全寮制の寄宿舎で9ヶ月間の勉強を経て大学共通入学試験に合格。16歳のとき身元引受人アーサー・M・シュレジンジャー・シニアの勧めでハーヴァード大学に進学、哲学を専攻。ホワイトヘッドラッセルクワインカルナップに師事。大学では成績優秀で、1000人いる同級生の中の上位10%に入っていたため飛び級コースに入る[4]。18歳の時には、当時働いていたニューヨーク図書館ヘレン・ケラーと一度会い、言葉を交わしている。この頃、ハーヴァードの経済学講師の都留重人と出会い、プラグマティズムを学ぶことを勧められる。都留は生涯の師となった。
1941年12月8日に日米開戦。1942年3月末、大学の第3学年前学期が終わったとき無政府主義者としてFBI逮捕され、東ボストン移民局留置場を経て、メリーランド州ミード要塞内の捕虜収容所に送られる。この間、拘置所から提出した卒論が受理され、19歳のときSumma Cum Laude[10]の成績でハーヴァードを卒業。1942年6月日米交換船グリップスホルム号と浅間丸に乗ってロレンソマルケ経由でアメリカ留学から帰国。ただしこれは強制退去ではなく、送還か収容所送りかの選択を迫られて鶴見自身が決めたことであった。収容所にとどまれば食事の心配がないのに敢えて帰国を選んだ理由について鶴見は「(収容所にとどまれば)敗戦後の日本に帰るときには大変に後ろめたい思いをしなきゃいけない」「アメリカに残っていたら、収容所といえども飯は結構困ることないんだよ。イタリア人のコックだし。私にとって(収容所の)飯は旨かったんだよ。だけどそれを戦争の終りまで─負けることは判ってる─終りまで、これを食い続けるのは悪いなという気がしたんだよ」と説明している[11]
第二次世界大戦時には結核持ちであるにも関わらず徴兵検査に合格したため、徴兵を避けるために海軍軍属に志願し、1943年ンドネシアジャワ島に赴任。主に敵国の英語放送の翻訳に従事。1944年12月、胸部カリエスの悪化により帰国。敗戦を日本で迎えた。
戦後、海軍を除隊後に『思想の科学』を創刊し、『共同研究 転向』など思想史研究を行う。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人丸山眞男らとともに戦後言論界の中心的人物とされる。京大助教授時代、1951年にはスタンフォード大学から助教授として招聘されたが、原水爆反対運動に関与したことが神戸市の米国総領事館から問題視されて米国への入国を拒否され、その後一度も渡米していない。
ベトナム戦争期は「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の中心的な人物として活躍した。ただしマルクス主義者ではなく、「私は日本にいたときからクロポトキンを一生懸命読んでいた。クロポトキンにはマルクスに対する偏見がありますから、それが、私がマルクス主義者にならない、一種の予防注射になった」[12]と述べている。反戦運動を行う中で、戦時中に海軍軍属に志願した事に関して「なぜ戦争中に抗議の声を上げて牢屋に入らなかったっていう思いは、ものすごく辛いんだよね。だから、英語がしゃべれるのも嫌になっちゃって。戦争中から、道を歩いていても嫌だって感じだった。鬱病の状態ですよ」と本人は後に釈明している[13]。 



---Wiki
森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7月24日)は、日本の数学者評論家エッセイスト京都大学名誉教授。専攻は、関数空間解析の位相的研究



東京市(現東京都台東区浅草出身、大阪府豊中市育ち。現在は京都府八幡市在住(八幡市の広報誌「広報やわた」より)。
数学・教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行う。歌舞伎、三味線宝塚歌劇団は在学中より熱中し、これらもエッセイの材料としている。数学者としての業績は論文が2本だけとほとんど無く、教授になるさいには「これほど業績がない人物を教授にしてよいのか。」と問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良い。」ということで京都大学の教授となった。
数学教育に関していえば、民間の教育団体である数学教育協議会の活動との関わりが挙げられる。
京大時代は名物教授の一人として人気を博す。40代半ばから一般向けの数学の本で知られ、1981年刊行の『数学受験術指南』はロングセラーとなった。また浅田彰は森に数学を習い、ニューアカ・ブームの当時は盛んに森を称揚していた。「一刀斎」と号する。
「エリートは育てるもんやない、勝手に育つもんや」というのが教育に関する持論。
新聞・テレビなどのマスコミでも広く活躍。また、文学・哲学についても造詣が深く、『ちくま文学の森』『ちくま哲学の森』などの編集に加わった。
萩原延壽とは三高時代の同級生で親交深かった。
2009年2月27日、一人暮らししていた八幡市内の自宅で卵料理を作っていた最中に、ガスコンロの火が着ていた衣服に燃え移り、腕、胸、背中など全身の30パーセント以上に大火傷の重傷を負った。
2010年7月24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去。

略歴 [編集]

主要な研究論文 [編集]

  • Topological structures in ordered linear spaces. (with Ichiro Amemiya), J. Math. Soc. Jp., vol. 9 (1957), pp. 131-142.
  • 位相線形空間、--Lebesgue積分論とBanach空間論の発展として--, 数学, vol.12 (1960), pp. 210-225.

著書 [編集]

  • マトリックス 明治図書出版 1964(現代数学入門シリーズ)
  • 数学的思考 その論理と構造 明治図書出版 1964 のち講談社学術文庫
  • 算数教育の基礎理論 明治図書出版 1965
  • ベクトル解析 多変関数の微分・積分 国土社 1966
  • 大学教育と数学 総合図書 1967
  • 現代の古典解析-微積分基礎課程 現代数学社 1970 のちちくま学芸文庫
  • 数学の歴史 紀伊国屋新書 1970 のち講談社学術文庫
  • 数学で何を学ぶか 講談社現代新書 1971
  • 数学文化の歴史と教育 国土社・新書 1971
  • 有限の数学 新しい集合論 明治図書出版 1971
  • 異説数学者列伝 蒼樹書房 1973 のちちくま文庫
  • 解析学 日本放送出版協会 1974(現代数学への序章 2)
  • 位相のこころ 位相空間論と関数解析のために 現代数学社 1975 のちちくま学芸文庫
  • 無限集合 共立出版 1976
  • 数学と文化 一刀斎対談 現代数学社 1976
  • 現代数学と数学教育 裳華房 1976(基礎数学選書)
  • 存在定理 共立出版 1977
  • 学校とテスト 朝日選書 1977
  • 文化の中の数学 新潮選書 1978
  • 微積分の意味 日本評論社 1978
  • 数の現象学 朝日新聞社 1978 のち選書
  • 数学のある風景 海鳴社 1979
  • 計算のいらない数学入門 「できる」から「わかる」へ 光文社 1980(カッパ・サイエンス) 「魔術から数学へ」講談社学術文庫
  • 線型代数 生態と意味 日本評論社 1980
  • ものぐさ数学のすすめ 青土社 1980 のち講談社文庫、「ものぐさのすすめ」ちくま文庫
  • 数学受験術指南』中公新書 1981
  • 学校ファシズムを蹴っとばせ 太郎次郎社 1981 のち講談社文庫
  • まちがったっていいじゃないか 創隆社 1981 のちちくま文庫
  • 教育舞芸帳 学校を笑え 太郎次郎社 1982
  • 居なおり数学のすすめ 青土社 1982 のち講談社文庫、「居なおりのすすめ」ちくま文庫
  • 佐保利流数学のすすめ 青土社 1982 のちちくま文庫
  • おもしろ勉強読本 子供が楽しんで学習する法 PHP研究所 1982 「生きていくのはアンタ自身よ」と改題、文庫
  • すうがく博物誌 童話屋 1982(美しい数学)
  • 数学プレイ・マップ 日本評論社 1983
  • 雑木林の小道 朝日新聞社 1983 「ひとりで渡ればあぶなくない」ちくま文庫
  • チャランポラン数学のすすめ 青土社 1983 「チャランポランのすすめ」ちくま文庫
  • 気まぐれ数学のすすめ 青土社 1984 「気まぐれのすすめ」ちくま文庫
  • グッバイ、管理主義 佐保利流学校心得 太郎次郎社 1984
  • ゆかいな参考書 森毅センセとの論楽塾 径書房 1985
  • 3びきのこぶた 童話屋 1985(美しい数学)
  • 世話噺数理巷談(さろんのわだいにすうがくはいかが)対談集 浅田彰編 平凡社 1985 「森毅の学問のススメ」ちくま文庫
  • はみだし数学のすすめ 青土社 1986 のち講談社+α文庫
  • 逆説っぽく数学のすすめ 青土社 1986
  • 数学近未来 培風館 1986
  • 自分流教育のすすめ 明治図書出版 1986(シリーズ・教育をひらく 1)
  • ムダっぽく数学のすすめ 青土社 1987
  • 数学という文化 佐保利流数学文化論 太郎次郎社 1988
  • しなやか数学のすすめ 青土社 1988
  • 面白ゆるやか教育のすすめ 明治図書出版 1988(シリーズ・教育をひらく)
  • ほんにゃら数学のすすめ 青土社 1989
  • 関西弁の数学噺 数学世界を散歩する 福武ブックス 1989
  • 指数・対数のはなし 東京図書 1989
  • あたまをオシャレに 大学番外地から 筑摩書房 1989 のち文庫
  • 悩んでなんぼの青春よ 筑摩書房 1990(ちくまプリマーブックス)
  • 一刀斎の古本市 日本評論社 1990 のちちくま文庫
  • 思い出つくれる学校のすすめ 明治図書出版 1990(シリーズ・教育をひらく)
  • 僕の選んだ105冊 青土社 1990
  • ふるさと幻想 数学のすすめno.11 青土社 1990
  • 数学のある社会に生きる 日本評論社 1991
  • (エエカゲンが面白い) 1991 ちくま文庫(原著不詳)
  • ベンキョーなんか、けっとばせ! やぶにらみ人生相談 創隆社 1991
  • まあ、ええやないか 青土社 1992 「考えすぎないほうがうまくいく」三笠書房知的生きかた文庫
  • 一刀斎の人生相談 思想の科学社 1992
  • 人生20年説 人は一生に4回生まれ変わる イースト・プレス 1992 「人は一生に四回生まれ変わる」三笠書房知的生きかた文庫
  • なんでもありや 青土社 1992
  • ボクの京大物語 福武書店 1992 のち文庫
  • 森センセイは本日休講 対談集 ベストセラーズ 1992(ワニの本)
  • ゆきあたりばったり文学談義 日本文芸社 1993 のちハルキ文庫
  • 森毅の友達サロン イースト・プレス 1993
  • みんなが忘れてしまった大事な話 マイナスが実はプラスなんだという発想 ベストセラーズ 1993(ワニの本) のち文庫
  • 時代のにおい 青土社 1993
  • 快食・快便・快読 青土社 1993
  • おしゃべりな置きもの 青土社 1993
  • 世紀末のながめ 毎日新聞社 1994
  • 森毅・福原義春いきいき対談 柔らかい生き方をしよう 明日香出版社 1994
  • たいくつの美学 青土社 1994
  • 数学と人間の風景 日本放送出版協会 1994 のちNHKライブラリー
  • あったか~い話 時代の風を楽しみながら生きよう ベストセラーズ 1994(ワニの本) 「変わらなきゃの話」ワニ文庫
  • 時の踊り場 青土社 1994 「二番が一番」小学館文庫
  • ま、しゃあないか 青土社 1995


    • 「おしゃべりな置きもの」と再編集して「自分は自分「頭ひとつ」でうまくいく」三笠書房知的生きかた文庫
  • 電脳は自由をめざす 読売新聞社 1996
  • 読書の森の散歩道 青土社 1996
  • 無為の境地! 青土社 1998
  • 時代の寸法 文藝春秋 1998
  • ぼちぼちいこか 実業之日本社 1998
  • 人生忠臣蔵説 年をとるのが愉しくなる本 ベストセラーズ 1998
  • ぼけとはモダニズムのこっちゃ 青土社 1999
  • 自由を生きる 人生は芸能、そしてゲームだ 東京新聞出版局 1999
  • 東大が倒産する日 旺文社 1999
  • ええかげん社交術 角川書店 2000(角川oneテーマ21)
  • 社交主義でいこか 青土社 2000
  • 21世紀の歩き方 青土社 2002
  • 元気がなくてもええやんか 青土社 2003
  • ぼくはいくじなしと、ここに宣言する 青土社 2006
  • もうろくの詩 青土社、2008

共著 [編集]

  • 数学の世界 それは現代人に何を意味するか 竹内啓対談 中公新書 1973
  • 元気が出る教育の話 学校・世の中・自分 斎藤次郎対談 中公新書 1982
  • 数学大明神 安野光雅対談 日本評論社 1982 のち新潮文庫、ちくま文庫
  • ことばを豊かにする教育 鶴見俊輔対談明治図書出版、1989
  • 森毅・福原義春らくらく対談 ええ加減が仕事の極意 明日香出版社 1993
  • 日本文化の現在 鶴見俊輔対談 潮出版社 1993
  • 真剣な対話 智の行者と炎の行者曼荼羅談義 池口恵観 紫翠会出版 1996
  • 寄り道して考える 養老孟司対談 PHP研究所 1996 のち文庫
  • 明日をよむ商い文化の時代 21世紀への異色対談 中内功 未来文化社 1997
  • 学ぶ力 河合隼雄工藤直子佐伯胖 岩波書店 2004
  • 人生に退屈しない知恵 鶴見俊輔 編集グループSURE 2009

翻訳 [編集]

  • 現代解析の基礎 1-4 ディユドネ 東京図書 1971-74

編著 [編集]

  • 量の授業 明治図書出版 1964
  • 解析幾何学 安藤洋美共編 明治図書出版 1967
  • 量数概論 市川徹共編 明治図書出版 1968
  • 数量関係指導の現代化 内藤久夫共編 明治図書出版 1969
  • 現代数学への道 銀林浩共著 国土社 1970
  • キノコの不思議 「大地の贈り物」を100%楽しむ法 光文社 1986(カッパ・サイエンス) のち文庫
  • ことばを豊かにする教育 鶴見俊輔共編 明治図書出版 1989(シリーズ・教育をひらく)
  • 『ちくま文学の森』(安野光雅、井上ひさし池内紀共編)1988年~
  • 『ちくま哲学の森』(鶴見俊輔、安野光雅、井上ひさし・池内紀共編)1989年~
  • 『新・ちくま文学の森』(鶴見俊輔、安野光雅、井上ひさし・池内紀共編)1994年~
  • 日本の名随筆 別巻 52 学校 作品社 1995

エピソード [編集]

  • 『ちくま文学の森』の編集会議の際、森が「ボンテンペルリはええよ」「ピチグリッリもよかったなあ」とつぶやいたが、この際博覧強記な他の編集委員の面々も驚愕した。その2人の作家は、森が戦後の学生時代、闇市の古本屋で買った、イタリアの作家たちであった。彼らの作品は『ちくま文学の森』に収録され、ボンテンペルリについては、ちくま文庫からマッシモ・ボンテンペルリ『わが夢の女』として刊行された。




8/05/2009


御手洗さんへ

異種接合について

異種接合は意外性の発見に繋がるのでは?


御手洗さんと民主党の岡田さんは異種接合? 笑い



テーマは、「化合物半導体CdTeの異種接合の作製」でした・・・

ヘテロ・ジャンクションの作製とそのジャンクションの分析です・・・


学生時代は、バイトして、飲んで、パチンコと麻雀で金を稼いで、女の子と遊んで、文学に親しみ、専門科目はほどほどに・・・

だが、試験のときだけはハード・・・ 東大・物理工学科の試験は、1科目3時間だったはず・・・

試験期間、2か月は地獄の日々・・・ 人生楽ありゃ、苦もあるさ - 水戸黄門


それで、卒論発表会・・・ 慣れないことで、緊張したが、なんとかクリアできた。

最近成績を確認したら、卒論は優でした。意外なことに、専門課程の方が成績が良かった。

講義にはほとんど出ていない。2年間で、5回くらい・・・ 良く卒業できたな、笑い

担当教官の感想は? あんたの発表は、まるで、文学だ(文学書ばかり読んでいたからなのかな?)


企業理念、開発理念、方針、目標など・・・ 初めに言葉ありき、言葉こそ、開発のスタートだと思う・・・


会社を辞めて、仕事を再開するにあたって、卒業証明書と成績証明書を入手しました。
(学歴詐称が問題になっていたので)

早稲田大学理工学部退学証明書(籍は残っていたようです)

東京大学物理工学科卒業証明書

情報処理技術者試験合格証明書(第一種)

東大の成績

教養課程 優4、良8、可7

専門課程 優14、良19、可12

専門課程で、優の方が可より多かった。びっくりしました・・・ 講義に出ていないのに・・・

卒論 優  量子力学第一 優 物理数学 優 数学第二 優 固体物理学第一 優 確率数理工学 優 原子エネルギー応用論 優

物理工学輪講第一 優 物理工学輪講第三 優 物理工学製図 優 その他

意外にも、キーになるような科目で優を取っていました・・・

面白いな~~~


学校は理系、私事は文系

会社は理系、私事は文系

つまり、異種接合です・・・


最近はいろいろな学問が融合し始めた。

新製品開発にも、幅広い知識があった方がベター

専門馬鹿が設計すると、技術指向になりすぎて、売れない製品を開発しがち・・・

やはり、専門だけでなく、幅広い知識を持つことこそ、重要だと思います。


ただし、その方法として、専門は深く、それ以外は広く、、、これがキーだと思う・・・

学問の深さと、広さ・・・


そのような教育、および、人材育成が必要だと思います。



初めに言葉ありき・・・

つまり、政党のマニフェストチェックは、経済界のノルマなのでは?

政治経済はワンセット・・・

ですよね?

僕は勝手に

PoliticsEconomicsDynamics 政治経済力学などと呼んでいます・・・

土曜日, 8月 01, 2009
アマルガメーションについて
The Amalgamation of Our Intelligence


PoliticsEconomicsDynamics 政治経済力学

ErgoMechaTronics 人間機械電子工学

BioPhsyicsMathematics 生物物理数学

LifeMechaTronics 生命機械電子工学

LifeSystemDesign 生命システム設計

ScienceArt 科学芸術

ArtScience 芸術科学

SportsMedical スポーツ医学

GreatUnifiedEconomics 大統一場経済

・・・
・・・

Aoyagi YoSuKe

Creator



6.21.2007

Innovation

The Concept of Innovation is


"Amalgamate organically

Agriculture, Forestry,Fishery,Industry,Science,Arts and Civic Life etc."


Is this neutral?


投稿者 AO 時刻: 8/01/2009 07:57:00 午前

ラベル: AO

水曜日, 7月 22, 2009
Gaiaと機械
あえて、Gaiaと呼ぶ理由は?

地球生命体には、無機物も含まれる。空気や水がなかったら、生命は死滅する。

よって、大気循環、水の循環なども生きているものとして捉える。

機械もその一部・・・

ガイア、地球生命体思想とは、このような考え方です。


機械を考える上でのニュー・コンセプト


ErgoMechaTronics 人間機械電子工学

機械とのインターフェースは人間的である。構造部分は機械である。コントローラは電子である。

例)ソーラー腕時計

シチズン REGUNO

秒針、分針、時針、カレンダーは機械式

電源は、補助電池付きソーラーパネル、6年以上電池交換不要

そして、重要なポイントは? 人間的・・・ 日付のずれを時々調整する。人と機械の関わりで、たまにメンテすることは重要な要素。一方、分解掃除はプロの仕事。



そして、これを一歩進めたコンセプトは?


LifeMechaTronics 生命機械電子工学

生命に優しい電子機器



Universal Design

汎用的なデザイン、広く通用するデザイン

少しばかり意味が明確でない。よって、


LifeSystemDesign 生命システム設計


生命に優しいシステムを設計する。


どうでしょうか?


Aoyagi YoSuKe

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The Definition Of Art Harbour Blog



The Definition Of Art Harbour


Virtual International Trade Harbours Of Art


Opening Anniversary Date: December 1, 2006

Language: Multi Language


Each harbour can export the works toward the virtual world.

People and organization can import the works from all over the world.


Now,Item: Works on Art Activities that are expressed with Photos and Explanations etc.

Export Method: Each Harbour put the Works onto this blog

Import Method: People and Organizations accsess this blog

Order Method: People and Organizations put some comments about the Works onto this blog.


In the future, we will need transportation including trains,airplanes,ships, cars, buses etc.

in order to export and import people, goods etc. ?


Art Harbour


アート・ハーバーとは


アートのバーチャル国際貿易港


開港記念日:2006年12月1日

言語:マルチ言語


各港は、バーチャルな世界へ向けて、作品を輸出できる

人や組織などは、バーチャルな世界から、作品を輸入できる


現時点輸出品目: アートに関する活動などを「写真と文などで表現した作品」

輸出方法: 各港で作品をこのブログに書き込むことで、輸出したものとみなす

輸入方法: 人や組織が作品をこのブログで参照することで、輸入したものとみなす

注文方法: 感想などをコメントに入れることで、注文したものとみなす


将来、、、列車、飛行機、船、車、バスなどを利用して、リアルな人や物が輸出入できる?


アート・ハーバー

Multi Language

現時点では?


ブログは日本語ベース


Google Translatorで、各国語へ、変換




そして、現場で、リアルなコミュニケーションは?


英語ベースで、現地語がお愛想・・・


こんな感じかな?


Aoyagi YoSuKe

Art HarbOur


The Gaiaと各ハブは?


英語がベースで、Google Translatorで、各国語へ・・・

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